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「スミソニアン誌」に紹介された勇敢な二人の男とは

ポルトガルのシンドラーとアメリカの砂漠地帯で独自の酒造業に挑戦する日本人

松尾洋一郎(63066)

最近のスミソニアン誌(全米知識人が購読する月刊誌)に紹介された二人の勇敢な男性についてご紹介します。

昨年11月号に紹介された人物は、正に杉原千畝氏のポルトガル版とも言える外交官、在仏ボルドー総領事だったソウザ・メンデス氏(1940年当時54歳)です。ポルトガルは当時中立を宣言していたが、同総領事は、フランス国がナチス軍に降伏する前に、ナチスの迫害を受け苦しみ路頭に迷ったユダヤ人と家族を当初は総領事館内にかくまった。一方、ポルトガル政府は在外国外交官に対し戦争避難民に対してのビサ発給禁止令を発令。しかし、敬虔なカトリック信者だったメンデス総領事は、一万人に及ぶユダヤ人家族が中立国スペインとポルトガル経由でアメリカへ辿り着けるように本国の命令を無視して6月の16日から23日の期間にビザの発行を無断で行い、多くのユダヤ人の命を救った。

日本のシンドラーとして知られる杉原千畝氏に加え、第二次大戦中にナチスのホロコーストから多くのユダヤ人と家族を救った外交官には、ポルトガルのメンデス氏、ヤン・ズヴァルデンディク氏(在リトアニア、オランダ領事代行)、何鳳山氏(ウイーン駐在中国総領事)、チャールズ・カール・ルッツ氏(ブタペスト駐在スイス領事)らがWebsiteに紹介されている。イスラエル政府は、第二次世界大戦でナチスの迫害から救った外交官らに『諸国民の中の正義の人』の称号を贈った。人道を尊ぶ在外国アメリカ人外交官がOnlineシンドラー・リストに載っていないのに一種の違和感を私は感じた。

なお私は、約20年前に新しく開館したユダヤ博物館(在ダラス市)を訪問した。その受付係のユダヤ人婦人が、私が訪問者記録帳に住所と出身国Japanと記したのを見て、この博物館は杉原千畝氏のお孫さんをご来賓に迎えて先週開館しました、と感謝の気持ちを込めて私に新しいユダヤ博物館を快く案内してくれた。失職を恐れず、ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)に震える多くのユダヤ人の命を救った勇敢な杉原千畝外交官の人道的な英断に感謝した。

次に紹介する日本人は同じくスミソニアン誌の昨年10月号に紹介されたArizona Sakeの醸造をアリゾナ州の砂漠の町で決断した日本人、東北大学農学部卒の櫻井厚夫氏42歳、横浜出身。実は3年前にニューメキシコ州サンタ・フェーからFlagstaffの自宅への帰途、ルート66線沿にある小さなホルブルック(Holbrook)という町、その町の博物館を訪問した。その受付でArizona Sakeの紹介記事に接し、この小さい砂漠地帯の僻地で、日本人が酒造りしていると知り櫻井氏へ電話し、彼の自宅ガレージに設置された醸造場を訪問した。

このホルブルックという町の人口は5,100人、アルコール類を禁じるモルモン教徒が多く住む町、またその住民の三割がアメリカ原住民ナバホ族。その彼の純米吟醸酒醸造場が、アリゾナ州で最大発行部数を誇るザ・アリゾナ・リパブリック紙2019年1月29日付で紹介、それに続きスミソニアン誌10月号でも紹介されて、彼の酒がアリゾナ州以外でも話題になっていることを改めて知った。

櫻井氏は某酒造会社(秋田と新潟)で10年間修行。その間に国家資格である一級酒造技能士の資格を取得。一方、将来の独立を目指し酒造会社の経営と管理などについても意欲的に学んだ。日本の酒醸造業界も政府の規制で守られているが故の、その閉鎖性、労働者階級差別、将来性の無さを常々感じていた彼は、いずれ将来は海外で夢を実現したいと思い英語の勉強に励んだ。酒造会社に勤務中に英語教師として在日の独身ナバホ族アメリカ女性ヘザーさん(ホルブルック近郊出身)とその姉妹が櫻井氏勤務の酒造会社を訪問見学。その時彼女と知り合い、数年後に日本で結婚。

櫻井氏は、新しいアイディアと起業家を歓迎するアメリカに着目、家族(子供二人)を伴って2014年渡米。最初は気候が日本に似たオレゴン州での起業を考えたが、人脈も無かったこともありオレゴンは断念。ヘザーさんの郷里であるホルブルックに取り敢えず移住した。一方、酒作りに欠かせない良質の水がホルブルックにあることを町内の人から学んだ。また、アリゾナの乾燥した気象条件は酒(麹)造りに適していること。加えて市長やアリゾナ政府の温かい声援、それにコミュニティの理解を得て、自己資金で2017年にホルブルック町内自宅ガレージに醸造場を設け酒造事業を始めた。

2018年東京酒コンペ、また2019年のロスアンゼルス・国際ワイン祭においてもそれぞれ金賞一位を獲得(詳しくはOnline Web紹介記事ご参照)。アリゾナ州知事からも祝辞を頂き、櫻井氏の酒醸造業はホルブルック町民に期待され、櫻井一家は地域住民に愛されている。現在では独自の醸造場の建屋(写真参照)を設け、彼独自の手法で造る一級純米吟醸酒の醸造とその拡販に加え、砂漠地帯の地域振興に更なる力を注ぎたいとの野心を櫻井氏は燃やしている。

やはりアメリカ合衆国は、日本とは違い、特殊技能やアイディアを持ち起業家野心を燃やす外国人を寛大に受け入れ、大きく経済成長してきた民主主義の大国だけに、櫻井氏はアメリカに来て念願の酒醸造業に取りかかれた。更には、彼の新規事業への挑戦をメディアを通じ知り、我が事のように喜んでくれるアメリカ人の寛大さと激励に感謝している。一方、社会分断が深まるアメリカ社会でアメリカン・ドリームへの挑戦に失望しつつある米国の若者に一つの模範を示したい、と櫻井氏は意気込んでいる。

なお、櫻井氏の事業理念は「人々の幸福に資する」ことで、私の製品だけでなく、生き方そのものが人々をより幸福に導くことができるように自己を律し、精進してゆきたい。地域社会への貢献を忘れず、独自のアメリカン・ドリームの達成に邁進したい、と付言した(2022年1月9日記)。